自分軸を持つって、どうやって?

あまたらです、こんにちは!

さて、いきなり本題に入りますが、このブログのタイトルにもなっている、「自分軸」について、考えてみたので、書いていこうと思います。

 

なんで、自分軸という言葉を選んだのか・・・

今思うと、自分がこれまで判断基準にしてきた、「こうあるべき」とか、「みんなはどう思うだろう」「みんなって誰かはわからんけど」という縛られていた感から脱して、
私の感覚、考えをもとに、選んで経験したことを、自分の言葉にしていきたい、という気持ちだったんですね。

 

とにかく、「べき」に縛られ歴が長いもんで、もう、不安と恐怖から逃れられない状況で・・・。

 

おそらく幼少期にとても厳しく母から「〇〇しなさい!」「〇〇でしょ!」とか言われ続け、自分の考えを言おうものなら、全否定されてきた暮らしが長くて、辛くて、「べき」に合わせないと存在できなかったから・・・。

 

その後の社会での経験、自分で見つけていった知識をもとに、「本当の自分の気持ち」をもっと大切にしたほうがいいんじゃないか?と考え、至ったところが、「自分軸を太くしっかりしていこう」ということ。


 これまでの私が考えている自分軸は、未完成で、未熟な、不完全な自分、それでも頑張っている自分が、大切にしようと頑張って見つけた、軸、考え方、みたいなイメージです。

この未熟で不完全な自分=自我なんですが、いきなり自我って何よ、となるので、またこれは順に私の経験を書いていきますね。
 

この、頑張っている自分、何とか「べき」や世間の基準から逃れて、「自分軸」がある状態を保とうとしている状態は、ある意味、「べき」に縛られていた時とあまり変わりはなく、何かに囚われていたり、無理している状況です。
 

それでも本人の感覚としては、そもそも未熟で、まだ「できていない(何と比べて?)」という自分を持ちつつも、言葉を発して、自分の経験の中でよかったよ、という発信をしていく勇気を持てたのは、成長です。

 

この縛られていることにあんまり変わりはない、自分が、作ろう、見出そう、太くしようとしている自分軸って、ちょっと心もとないというか、脆いイメージがありました。

だって未熟で未完成の自分の中から探すんだからね。

ところが、先日あることがきっかけで、もっと上の次元、広い視点、高い視点から全体を見る、という経験を得て、

「え?本当の自分ってここにいたの?」っていうか、本当の自分の軸と繋がるためのルートとしての軸、って表現のほうが、自分軸という言葉が、しっくりくる!

 

と気づいたんです。 

 

 

これって、なんだかうれしいような、ありがとう、というような、安心感に満たされる、というような感覚なんですが、 

あ~この日に出会うために、10秒スイッチしてきたんだね。という納得感があるんです。 

 

今、やきもきと日々の出来事に振り回されて、それでも前を向いて頑張っている自分=自我と別に、その自分を抱擁している、本当の自分がいる。 

その自分につながるための、見失わないためのルートとしての自分軸を持つというのは、いい感じじゃない?って思ったんですよね。 

 

10秒スイッチをそのルートに通す、そのルートからくるメッセージを受け取るような感覚で、やると時空の広がりと、ありのままで存在している気楽さ、が体感できたんです。 

 

この視点というか、自分とのつながりというか・・・そこからの体験、経験をまたつづっていこうと思ってます。

さて、さて、あることがきっかけで、と書きましたが、何があったかと言いますと。

個人コンサルを受けたんです、奥敬子さんの。

 

今までは複数人での講座を通して、学んだり、フィードバックを受けていましたが、今回、1対1のコンサルを受けました。
 

 あの短時間でここまで到達するんだ!という明晰さで、素晴らしい時間になりました。

 

またこの先、深く広く考え体験できると思うので、シェアしていきますね。

 


 


 

軸のありか2

こんにちは、あまたらです。

自分のブログをスマホで見てみたら、最新の投稿が上に来ていて、そのあと続けて、下にスクロールすると、一つ前の記事が見える設定なのね・・・。

ってことはよ、この2が上で、続けて1が出てくるという、、、読みにくいよね・・・

でも現状、これをどうしたらえーのか、わからない力量で、すみません。

まあ、そんなことは置いておいて、続きを書いてみよう。

あれは、私が高校生の頃・・・

仲良くなったお友達と、ショッピングセンターに遊びに行くことになったとき。

ショッピングセンターといっても、おしゃれな感じのところではなく、本当に、イオンとか、大きなスーパーみたいなところ、近所でだれでも行くところだったけど、子供だけで、行くことの許可を得るために、私は悩んでいた。

一緒に行く友達は、母も認める感じのいい子(もちろん女の子)で、ちゃんと挨拶もしてくれるし、まず、私の家まで迎えに来てくれて、いってきます、と一緒に言ってくれたから、私はほっとした。

そのあと、友達の家に、何か、取りに寄ってからショッピングセンターに行くことになり、友達の家に二人で向かい、その子と、そのお母さんの会話を聞いて、驚愕した!!

たわいのない会話であるけど、まず、

友達が今日、行こうとしていることを否定的にとらえていない。

楽しんでいらっしゃいね、ということで、優しい言葉をかけてもらっていた。

さらに、友達は、当たり前、という感じで「ありがとう、行ってくるね!」と、言った!!

私はびっくりして、その子に、「お母さんっていつもあんなに優しいの?」と聞いてみたら、「え?普通やん」って。

「お母さんに優しい言葉かけてもらって、ありがとう、っていつも言うの?」って聞いたら「普通、ありがとうって言うやろ?」って。

毎日怒られない?とまで聞いた気がする・・・。

友達は、意味わからん、って感じで、「何を怒るの?」って。

そのころ私は、反抗期もあったのか、毎日母親と喧嘩していたので、本当にびっくりした。

初めて、この世にはいろんな家族があり、色々なコミュニケーションがあるんだ、と実感した経験でした・・・。

だって、子供って、自分の家族が基準で世界を見てるからね。

お母さんに、ありがとうって言うんだ・・・と思ったこと、

自分はとてもじゃないが、言える心持じゃないと実感したこと、

この感覚はよく覚えています。

とにかく、「叱られないか? 母は怒らないか?」としか、判断基準を持っていなかった子供のころの話です。

そして、その後、大人になり、働き始めてから、だんだん、自分を優先していくのです・・・。

でも、不安定なままなので、相変わらず、「母は、いい、って言ってくれるかな?」とすぐ考える癖はぬけませんでした。