自我との対話

あまたらです、こんにちは!

今、LINEで繋がっている方には10秒スイッチ習慣化サポートの後は、セカンドシーズンとして、自我との関係を考えることを軸に、メッセージを送っています。

LINEのメッセージなので長々とは書けず、意識を開くきっかけ、みたいな感じで読んでいただいてたらうれしいと思いつつ送信しています。

 

ここで改めて、自我との距離感というか、自我を認知するための立ち位置というか、そのあたりを非常に感覚的ではありますが、書いてみようと思います。

 

私は、これまで自我という言葉で表される存在を、「自分自身の意識、自分と認識している存在そのもの」と思っていました。

だから大人になる、自分の意見を持つ、ということが自我を持つ、という感覚でいました。

 

ただ、自我という存在は、いわゆる、わがまま、ありのまま、という「我が、我が」と主張してくる部分があるので、ありのままの私を大切に!とかありのままの自分を愛することが大切!という、let it go!にはいつも違和感を感じていたんですね。

 

自分、私、という存在そのものをイコール自我で結んでいたからなんですが、これって私だけなのかな、、、。
だから私は自我を成長させよう、とか自我を変えていこう、と今の理想のギャップを埋めなくては!とあがいていました。

 

となると、どうしても今の自分を否定しなくてはいけないわけで、これまた苦しいんですよね。 

そんな私があれこれ本を読んだり、色々な自己啓発の考え方の本を読んだり、発達心理学の本を読んでみたりと様々な考えに触れている中で、10秒スイッチに出会ったんです。

 

10秒スイッチも初めは自分を変えるためにやっているので、どうしても責めたり、褒められる部分とダメな部分を切り分けたり、もう、無意識でジャッジしていました。

これも紆余曲折をたどり、コンサルを受けた時に開いてもらえた意識、

私、イコール自我ではない、ということ。
本質そのものが本当の私なんだけど、この次元で生きている、対応するための存在、自我、という認識を持てて初めて、腑に落ちたことが色々とあるんですね。
 

本質そのものが、let it goするのは、納得いくというか、認識が広がっていく、というか・・・。

そうなると、自我という存在は、私の中の、部分、一面である、と思えるようになったんですね。

でも長らくここまで、私を生かして守っていてくれた存在ではあるので、自我はとても強く、すでに確立したスタイルというか、思考や行動、反応のパターンを持っているわけです。

 

これで大概のことはうまく対応しているんですが、イラっと来たり、ネガティブな反応を引き起こすポイント、というものは、毎回必ず、反応するんですね。

そんな自分が嫌になることもしばしば。

それをただ観察して、受け止める、反応していると認める、その意識の立ち位置を持てる、ということが10秒スイッチの素晴らしいところだと思うんですが、なかなかここまでは長い道のりでした。

さて、この長い付き合いの自我を、どう取り扱っていくのか、と考えてみた時に、これまた10秒スイッチが使えるね!と思ったんです。

 

なぜ、他のたいていの人には、何でもないことに反応して怒りを感じるのか?
なぜ、私はいつまでも同じことで、ぐるぐると悩んでいるのか?

そんな自我の特徴や癖を、観察するだけでも、悩みの渦中から外れることができる!と気づいたんですね。

 

自分の自我という存在に名前を付けて、呼び掛けてみようじゃないか、自我の声に耳を傾けてみようじゃないか、と色々やってみています。

 

そうすると、「いつものネガティブパターン」に出会ったときに、若干、ずれた位置から、観察しつつ、自分を客観的に観られるようになったんですね。

 

自分の自我の癖、自我の取説、を見つけたら、楽しいんじゃない?と思ってるんです。

 

まあ、私の自我ちゃんの声は、ほとんど「私の事、分かってよ!認めてよ!」です・・・。

自分を責める、について

あまたらです、こんにちは。

 

今日もいきなり本題に入りますが、このブログのテーマ、「自分を責める癖止めませんか?」について考えてみたいと思います。
 

今、LINEで繋がっている方へ、セカンドシーズンのメッセージを送っていますが、そこに

「自分を責めていると何かやった気になる」ということを書きました。 

 

私はブログも、LINEも自分の経験や知ったことを書くので、あくまでも私の感覚です。 

私は個人コンサルを受けてから、「自我」の私と「本質」の私という別の存在を意識するようになりました。 

 

一つの私という存在の別の側面で、次元を上げたところにある、本質、という本来一体のものなのだけど、あえて、別人というくらい、視点を切り替えます。 

そして、本質側から、観察してみたところ、「自分を責める」という行動は自我である、私の癖だなと気づいたわけです。 

そしてなんでその癖が生まれてきたのだ?と考えてみたら、具体的に何か、自分を変えるという行動より、責めているほうが、心地良い。

成長に向けて何かしら変化しようとしている感じにも見えるし、責任感がある風にも見える。

さらに、責めている間は、特に具体的に行動をしなくて済む。しんどいし。

ってことに気づきました。

 

私の自我が、生み出したちょっとしたテクニックなんですね、これが。 

 

自我の特徴として、自分を守りたい、というものがありますが、さらには、「変わりたくない」というものも強くある気がします。

ただ、今のままではうまくいかない、ということも実は気づいているので、何かしら、行動すべき、とも思ってはいるんです。

そこで、生み出された高等テクニック、自分を責める。 

いや~見事ですね。

 

これ、人から言われたら、痛いところ突かれて腹立つと思いますが、自分で自分を観て気づいたことなんで、笑えます。

 

だから、今も自我の癖として、自分を責める、という方向に行くこともあるけど、本質側の視点に立って、「まあまあ、本当はどうしたいの?」と聞いてみる余裕ができました。

 

10秒スイッチを使って、切り替える、という感じです。

 

そんな癖があるんだ、ということが分かった上で、言いたいことは・・・

自分を責める癖、止めませんか?