こんにちは、あまたらです。
思い返せば佐藤先生のメソッドに出会ってもう6年目になろうとしています。
時の流れが年々、早く感じるから、時々、振り返ってみないと、ほんと、
あ!っちゅうまです。
そんなこんなで遠い記憶をたどってみようシリーズです。
1作目も書いてないのに、シリーズとかいうところが、笑う。
10秒スイッチを続けて5年過ぎましたが、自分のやり方が初めのころは、ちょっとずれてたな、ということがあります。
そして、今、やってみて効果を実感できるのは、「とにかく細かく細かくやる」っていう方法です。
振り返って流れを見るに、私が一番、言語化できず、もどかしくて、そこに違和感とか課題があるのに、どうしたらいいの?と思っていた部分に、
「今の自分とつながる」という感覚があります。
とにかく昔から、本当の自分は、どこにいった?と思うシーンが時々あります。
そして、自分とつながっていない、と自覚はあるものの、どうしていいかわからんから、やったこと。
文字にして、願いを紙に書く。
瞑想する。
呼吸法を整える。
今ここに集中しましょう、などなど、よく言われるあれこれをやってました。
でも、私は今ここにいない、と思っていたと白状します。
瞑想さえしたら、今ここ、の感覚がわかります、って何かの本で読んで、
やるものの、「え?これがそうなの?なんも変わらん感じがする。
じゃあ、前から今ここにいるのか?」
と面倒くさい思考ループに入ってました。
そして、本当の自分と繋がっていない自分を責め、流行りのやり方をやってみているのにできていない自分を責め、まだだ、まだだ、と思っていました。
私は、できているか、できていないか、ジャッジして、自分を責めているその部分を見ないようにするためにもがいていたような感覚です。
だから「できた」自分を見たいから、できていない自分を否定する、今ここにいるのは、できていない自分なのに否定する、そんな感じですね。
もう、できていようが、なかろうが、それでそのまま受け止めたらいいのに、それができない。
怖くてね。

ここで思い出した感覚があって・・・。
私は、いわゆる運動音痴な子供でして、体育が嫌いで嫌で仕方なかったです。
中でも一番の恐怖が跳び箱。
3段までなら飛べたんですが、後は無理。
怖い、痛い、ってしか思えなかったです。
そんな私でしたが、ある年、よりにもよって、授業参観日、体育、跳び箱という恐怖の組み合わせがあったんです。
それでも何とかやる気は見せようと、ダーッと走っていくんですが、ぴたっと跳び箱の前で、止まる。
これをひたすら繰り返してしのいだ記憶があります。
もちろん家に帰ったら、叱られるのはわかっていたので、気が重くて、帰りたくないって思ったのも覚えています。
あの時の、
できない→無理→怖い→痛い目にあいたくない→だから手前で止まる!
これって、10秒スイッチの感覚で言うと、受け容れたくない自分がいるから手前で止まる、に似てるんです。
手前で止まって、その感情や思考を止める感じです。
そして、頭で納得させようと、無理やりポジティブにもっていったり・・・。
本当の自分を見ないようにする、ってこんなことなんですよね。
ネガティブな自分、できない自分を見つめる、そんな自分もそのまま受け容れられるようになると、繋がっている、っていう感覚がわかり始めます。