引き寄せたことある?

こんにちは!

あまたらです。

引き寄せの法則ってご存じですよね?

かれこれ15年ほどになるのかな・・・「ザ・シークレット」っていう魔法みたいな本ありましたよね?

私も夢中になって読んでましたし、親しい人にも差し上げたりしていました。

なんか・・・「魔法?え?強く望むと実現するの?」って。

そういえば、あんなこと、こんなこと、強く強く願っていたなあ・・・と今実現している物事を見るにつけ、「そうよ、私は引き寄せたんだ!!」なんて、思っていました。

でも、なかなか引き寄せられなかったのが、億単位のお金。

いる?

あったら安心できると思ったんだよね…当時。

その頃は、子供も生まれ、幸せな毎日で、ほかに何を引き寄せたらいいかなあ~?

なんて、不足探しをしてみたり。

まあ、そんなことで引き寄せられるわけもなく・・・。

待てど暮らせど、魔法は起きなかったです、はい。

引き寄せって、耳に心地よい、考え方だし本当に自らの心からの願いって、かなうだろうから、本当に価値ある考え方の一つだとは思う。

ただ、欠乏感からの願いって、かなわなかったな・・・と改めて思う。

かなう必要もなかったのだろうし、そこじゃないって、サインだったのかもしれないけど。

今、本当に困っていて、何とかしたい、だから、大きな遠い夢を願う。

でもその祈ったり、願ったりしている自分そのものを否定していたら・・・?

気づかされることに向き合うことになるだろうなって・・。

向き合う準備ができたら、あとは早いんだけど。

今思うと、私も向き合う準備ができたんだと思う。

だから10秒スイッチ、やってみたんだろうな、当時から。

そして、それがうまく行くと実感できたから、続けているんだな。

軸のありか2

こんにちは、あまたらです。

自分のブログをスマホで見てみたら、最新の投稿が上に来ていて、そのあと続けて、下にスクロールすると、一つ前の記事が見える設定なのね・・・。

ってことはよ、この2が上で、続けて1が出てくるという、、、読みにくいよね・・・

でも現状、これをどうしたらえーのか、わからない力量で、すみません。

まあ、そんなことは置いておいて、続きを書いてみよう。

あれは、私が高校生の頃・・・

仲良くなったお友達と、ショッピングセンターに遊びに行くことになったとき。

ショッピングセンターといっても、おしゃれな感じのところではなく、本当に、イオンとか、大きなスーパーみたいなところ、近所でだれでも行くところだったけど、子供だけで、行くことの許可を得るために、私は悩んでいた。

一緒に行く友達は、母も認める感じのいい子(もちろん女の子)で、ちゃんと挨拶もしてくれるし、まず、私の家まで迎えに来てくれて、いってきます、と一緒に言ってくれたから、私はほっとした。

そのあと、友達の家に、何か、取りに寄ってからショッピングセンターに行くことになり、友達の家に二人で向かい、その子と、そのお母さんの会話を聞いて、驚愕した!!

たわいのない会話であるけど、まず、

友達が今日、行こうとしていることを否定的にとらえていない。

楽しんでいらっしゃいね、ということで、優しい言葉をかけてもらっていた。

さらに、友達は、当たり前、という感じで「ありがとう、行ってくるね!」と、言った!!

私はびっくりして、その子に、「お母さんっていつもあんなに優しいの?」と聞いてみたら、「え?普通やん」って。

「お母さんに優しい言葉かけてもらって、ありがとう、っていつも言うの?」って聞いたら「普通、ありがとうって言うやろ?」って。

毎日怒られない?とまで聞いた気がする・・・。

友達は、意味わからん、って感じで、「何を怒るの?」って。

そのころ私は、反抗期もあったのか、毎日母親と喧嘩していたので、本当にびっくりした。

初めて、この世にはいろんな家族があり、色々なコミュニケーションがあるんだ、と実感した経験でした・・・。

だって、子供って、自分の家族が基準で世界を見てるからね。

お母さんに、ありがとうって言うんだ・・・と思ったこと、

自分はとてもじゃないが、言える心持じゃないと実感したこと、

この感覚はよく覚えています。

とにかく、「叱られないか? 母は怒らないか?」としか、判断基準を持っていなかった子供のころの話です。

そして、その後、大人になり、働き始めてから、だんだん、自分を優先していくのです・・・。

でも、不安定なままなので、相変わらず、「母は、いい、って言ってくれるかな?」とすぐ考える癖はぬけませんでした。

軸のありか

こんにちは、あまたらです。

このところ、いろいろと心動かされる出来事があり、時の流れにしみじみしております、、、なんのこっちゃ。

ふと、このブログタイトルの自分軸って、なんだろな~と思い、書いております。

今、私は子育て真っ最中なのですが、子供たちを見ていて、本当に驚くことが日々あります。

うちの子供たちは、おそらく比較的おとなしいタイプだとは思うのですが、それでも、

「あれがしたい」

「これが欲しい」

「あそこへ行きたい、なぜならば・・・」

と、はっきり、自分の思ったこと、希望、欲望を伝えてきます。

お友達に聞いた情報、ネットで自ら調べてわかったこと、など、自分はどうしたい、ということを伝えてきます。

ちゃんと自分で考えて。

これって、本当に当たり前のことなのですが、私の子供のころと比べると、びっくりの連続なのです。

まず、〇〇がしたい、と具体的に言えることがびっくり。

そして、それがしたい自分、というものを普通に認めているところがびっくり。

書いてみると当たり前すぎて、だから?って思いますが、

私の子供のころは、すべての判断基準が

「母に叱られないか?」

だったため、たまに「何がしたい?」と聞かれても、答えられなくて、とにかく

「まあこの程度なら叱られないかな?」とか「ここなら母も喜ぶだろう」ということを必死で考えていた記憶しかありません・・・。

自分の気持ちとか希望なんてあることすら知らなかったです・・・はい。

だから、無難に、何も考えずいたので、母から「あんたは個性がない」と言われたとき、

何のこと?と、個性って何?????

と思ったことを強く覚えています。

それからは「個性的になるには?」って考えたり、本で探してみたりしていました・・・。

小学生の時。

今なら、「もし私が個性を大切に生きてたら、絶対怒るやん!!」って言い返せるけど・・・。

我を出さず、叱られないように暮らしていても、個性がない!とまた叱られる、、、

切ない子供時代ですな・・・。

あー大人になって良かった!!

でもきっと我は抑えても抑えても、出てたんでしょうね、きつい子、とよく言われてましたから。

RyanMcGuire / Pixabay

そんな子供時代を経ていますから、大人になっても、基準が他人軸、になりがちでした。

わかりやすく言うと、〇〇すべき、に合わせようとする、って感じですね。

無自覚ですよ、もちろん。

だから大して辛くはないんです、そんなもんだ、というか、それしか知らないから。

ただ、時々、違和感があったり、う~ん?と感じることがあったりして、しんどい、こともありました。

それでも、そんなもんだ、と思っているし、本当の自分がいることすら知らなかったので、~べき、に合わせることそのものが、自分の意志だと思っていました。

たくさんいるんじゃないかなあ、そんな人。

無自覚にそんな生き方になってる人、たくさんいると感じます。

続きは、また・・・。